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    新潟県京ヶ瀬村の佃煮屋の情報が登録されていません。

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    造幣局・桜の通り抜け(その2)
    造幣局・桜の通り抜け(その1)からの続きです。 大提灯(おおぢょうちん) 球形の大輪の花が提灯のようにぶら下がって咲く。花は淡紅色を帯びた白色である。(5) 法名寺(ほうみょうじ) 京都府美山町の法名寺境内にあった名桜を佐野籐右衛門氏が接木育成し、命名した。花は淡桃色白色である。(3) 珍しい桜の一つ『二度桜(にどざくら)』 一本の木に、一重、八重、二段咲きの花があり、二段咲きでは、外側の花が開花し、内側の花が遅れて開花するので、二度桜という。(1) 蘭蘭(らんらん) 北海道松前町で、「白蘭」と「雨宿」との交配から選出育成された桜。北海道松前の子供たちが上野動物園のパンダ「蘭蘭」の死を悼んだことと、花が密集して咲き、その付き方がふくよかでパンダの毛並みに似ていることから命名した。花は白色に近く、花弁数は20〜25枚ある。(3) 数珠掛桜(じゅずかけざくら) 新潟県京ヶ瀬村の梅護寺にある桜で、花は淡紅色菊桜系で、親鸞上人が桜の枝に数珠をかけられたという故事から、この名が付けられた。花弁数は200枚程である。(2) 松前琴糸桜(まつま

    山鳥屋敷遺跡/阿賀野市
    阿賀野市駒林集落は阿賀野川右岸の旧河道の自然堤防上に形成された集落と 思われる。 その集落の北端付近、上堀田集落との中間付近の駒林川の左岸の水田に 本遺跡が立地する。 平坦な地形で耕地整理されかなり遺跡は撹乱を受けているものと思われる。 遺跡と確認できるものに土師器小片が確認できた。 山鳥屋敷遺跡は、古くから周知された遺跡で、 古墳時代〜中世の遺物が散布している事で知られる。 新潟市在住の大橋さんが1960年頃に撮影したという小形の甕、 高杯の古い写真がある。現物は、現在阿賀野市農業資料館に展示されている。 高杯の杯部は欠損しているが、脚部は短く外反する。 裾部はハの字状に開き裾部が強く外反している。 内面に輪積痕が残り・はけ目がある。甕の胴部は球胴で底部は丸底を呈し、 緩やかに内湾しながら頚部に至り、 口縁部は短く外反する・・・(展示品の為、直接観察することができない為、 観察結果他は「村下遺跡」の報告書の文面を引用しました。 土器の諸特徴から古墳時代前期末〜中期前半に位置付

    猫山遺跡/阿賀野市
    先述の大曲川端遺跡(http://blogs.yahoo.co.jp/rekisi1961/39660076.html)と 同様沖積平野の安野川右岸の自然堤防上にある。 1958年京ヶ瀬村猫山のYさんの所有の畑で、耕地整理作業に伴い 竪穴状遺構から弥生土器が出土し、当時の在野の考古学者の上原甲子郎、 武田現誓、貴船留作により応急発掘が行われた。 出土遺物は北方文化博物館で復元が行われ調査を担当した上原氏は 1959年に日本考古学協会第24回総会にて、 猫山遺跡の研究報告を行った。報告で墓地とは報告していないが、 土坑内に数個の土器がまとまって埋地された状況は極めて特異なもので、 弥生時代初期の墓跡遺跡の可能性を示唆している。 出土土器については東海の「水神平(すいじんびら)式」との つながりが指摘され、新潟日報で「猫山式」と命名している。 その後、上原氏、磯崎雅彦氏により弥生時代初期の標識遺跡として 認識されるにいたった。 その後、渡辺朋和氏により、 新潟市緒立遺跡出土の弥生前期土器

    大曲川端遺跡/阿賀野市
    五頭連峰を水源とする安野川の左岸、同河川が形成した 沖積地の自然堤防上に立地する。 本遺跡は、平成12年度県営湛水防除事業の工事に先立ち、 当時の京ヶ瀬村教育委員会が主体となり発掘調査が行われた。 調査の結果〓層、〓層、〓A層、〓層、〓層、〓層、〓層が確認され 〓層上面で溝14条、落ち込み3基、〓層上面で溝5条、ピット3基、 落ち込み1基が確認され、遺跡の性格付けをできるような遺構は無い。 出土遺物は弥生時代、中世〜近世の遺物が出土している。 遺物総量は平箱5箱程度である。弥生土器は、甕形土器で肩部が張り、 頚部から口縁部にかけて緩やかに外反し頚部にやや太めの沈線が4本引かれ、 胴部には右傾の条痕が引かれるもの。 深鉢の底部で底面が上げ底状を呈し、胴部に縦方向の条痕を呈するもの。 中世の遺物は、珠洲焼甕で吉岡編年の〓〜〓期で報告書ではもう少し下がる 可能性が指摘する遺物も見られる。 阿賀北型と呼ばれている中世土師器で 品田編年で〓期の13〜15世紀に相当する。 近世陶器はほぼ完

    町道上(まちみちかみ)遺跡/阿賀野市
    本遺跡は、阿賀野川から直線距離で約2.5kmにある。阿賀野川が氾濫を繰り返し形成した、 弓なりの黒瀬-姥ヶ橋−下の橋-前山の自然堤防と南北方向に伸びる五郎巻-猫山自然堤防列が合流する 地点に立地する。 標高は6m位でほぼ平坦な地形である。 本遺跡が展開した場所は、中世には摂関家領白河庄の範囲内にあり、鎌倉時代には大見氏が、 戦国、室町時代には阿賀北の有力国人水原氏、安田氏の支配下となる。 本遺跡が、道路工事で破壊される事になり平成11年、12年に当時の京ヶ瀬村教育委員会が主体となり 発掘調査が行われた。 調査の結果古代〜近世の遺構、遺物が出土した。 検出された遺構は溝25条、土坑・ピット多数、集石遺構1基、方形竪穴状遺構2基、井戸8基である。 出土遺物は古代の遺物は、少量出土し須恵器甕片、へら切無台杯が出土し胎土から在地窯産と 思われる物がある。 中世の遺物は珠洲焼甕・壷・片口鉢、「阿賀北型」と呼ばれる土師器皿・小皿、輸入陶磁、 井戸側部材などの木製品が検出された。 出土遺物の主体は珠洲焼片口鉢


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